有機物質における量子スピン液体の機構解明に光

2022.12.28

報道関係各位

有機物質における量子スピン液体の機構解明に光 -パイ電子のゆらぎと絡み合った分子格子振動の特異な温度依存性を初めて観測-

総合科学研究機構
東北大学
東京電機大学
山梨大学

【発表のポイント】
・量子スピン液体※1候補である分子性有機物質※2において、量子スピン液体の発現機構を解明するカギとなる「6K異常」で、パイ電子※3と結合した特定の分子格子振動※4の減衰状態が大きく変化する様子を中性子非弾性散乱実験※5で初めて発見
・減衰変化の起源としてBEDT-TTF分子の四量体化※6(図1)を提案。分子性有機物質のスピン液体機構の解明に期待
・世界的新型コロナウイルス感染症拡大下における日欧間の国際共同リモート実験による成果(図2)

【概要】
一般財団法人総合科学研究機構中性子科学センターの松浦直人主任研究員、東北大学金属材料研究所の佐々木孝彦教授、東京電機大学理工学部の中惇准教授、山梨大学大学院総合研究部の米山直樹教授らはドイツ・フランス研究グループとの国際共同研究により、量子スピン液体※1の候補物質として長年研究されてきた分子性有機物質※2κ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3で、特定の分子格子振動※4の減衰状態が6 Kを境に急激に変化することを世界で初めて発見しました(図1)。この研究では、新型コロナウイルス感染症の世界的拡大下において、仏国のラウエ・ランジュバン研究所での中性子非弾性散乱実験が国際リモート実験として実施されました(図2)。また、分子二量体(ダイマー)※6内の電荷の偏りを考慮した理論モデルとの比較により、6 K以下ではκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3内のBEDT-TTF分子が四量体※6を組むスピン一重項状態が形成されることが示唆されました(図3)。この分子格子振動の特徴的な減衰は、他の電子誘電性を示す分子性有機物質においても、パイ電子※3の秩序化に伴って変化することから、分子性有機導体ではパイ電子と特定の分子格子が強く結合していることを示しています。本成果は、分子性有機物質における分子格子と結合したパイ電子の物性研究を加速する成果です。

本研究成果は、米国の科学雑誌「Physical Review Research」版に12月20日付でオンライン掲載されました。

【背景】
強磁性とは原子レベルの小さな磁石である電子スピンが同じ向きに揃う性質で、モーターを始めとして、身の回りの電子機器に多く使われています。一方、向きを揃えようとする力が強く働いているのに、温度を下げてもスピンの向きが揃わずに量子力学的に揺らいだ状態は量子スピン液体状態と呼ばれ、量子コンピュータなどへの期待から近年盛んに研究されています。分子性有機導体κ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3は、量子スピン液体候補物質として20年以上注目を集めてきた物質ですが、「6 K異常」と呼ばれる様々な物性異常が6Kで起こることが報告される一方、その物性異常の起源は不明なままでした。

【研究の内容】
一般的に有機導体は大きな単結晶が得ることが難しい為、中性子非弾性散乱を用いた格子振動の観測は2、3の例外的な物質のみに限られていましたが、本研究グループは、近年、電子誘電性を示す分子性有機導体κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clについて僅か10mgの単結晶試料から世界で初めて電子誘電性と結合した格子振動の観測に成功してきました。本研究では、合計47個(総重量~27 mg)のκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3単結晶を育成し、結晶の軸を10度以内に揃えた試料を準備しました。更に、世界で最も強い中性子線束を誇る仏国ラウエ・ランジュバン研究所のIN8分光器を用いることで、世界で初めてκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3から明瞭な中性子非弾性散乱による格子振動のシグナルを得ることに成功しました。また、この実験は、新型コロナウイルス感染症の世界的拡大下で海外渡航ができない状況において、日欧間でのオンラインでのリモート操作やミーティングによる国際リモート実験として実施されました(図2)。
実験では、BEDT-TTF分子二量体のbreathing(息継ぎ)モードと考えられるE=4.7 meVの光学モードが6 K以上で強い過減衰状態にあり、6K以下では急激に線幅が装置分解能程度まで狭くなり、常減衰状態に変化する振る舞いを観測しました。このBEDT-TTF分子二量体のbreathingモードは、κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clとκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3で共通して、パイ電子の状態変化と密接に関係しており、パイ電子とbreathing モードの結合はダイマーモット分子性有機導体に共通する性質であることが明らかになりました。また、この温度変化を二量体内の電荷の偏りを考慮した理論モデルと比較することにより、6 K以下ではこれまで議論されてきた量子スピン液体状態ではなく、BEDT-TTF分子が四量体を組むスピン一重項状態が6K以下で形成されることが示唆されました(図3)。

図1 分子二量体状態(常磁性状態)と分子四量体状態(スピン一重項状態)の模式図。6Kにおいて分子二量体状態から分子四量体状態に遷移する。

図2 フランス—日本—ドイツ間での国際リモート中性子非弾性散乱実験。試料を日本から輸送し、実験は、共同実験者間でデータを共有しつつ、日本からリモートで装置を操作して行われた。

図3 理論モデルにおける状態図。温度を下げていくとκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3(κ-CN:緑色の矢印)は、反強磁性相関の発達とともに、分子二量体状態(常磁性状態)から分子四量体状態(スピン一重項状態)に遷移する。

【研究の意義と展望】
分子性有機導体は、分子間の結合が弱い為に結晶が柔らかく、電子の持つスピンや電荷の自由度と協調して、多彩な性質を示す柔らかいエレクトロニクスデバイス材料として注目を集めています。電子誘電性やスピン状態の量子的変化を示す分子性有機導体において、パイ電子の電荷やスピンと結合する共通の格子励起が観測されたことで、今後、更に格子と協調した分子性有機導体の研究が加速することが期待できます。

【研究支援】
本研究はJSPS科研費(JP19H01833, JP19K03723, JP20H05144, JP22H04459)、東北大学金属材料研究所における共同研究(202111-RDKGE-0004, 202112-RDKGE-0019, 202012-RDKGE-0042)の助成を受けたものです。

【論文情報】
タイトル:Phonon Renormalization Effects Accompanying the 6 K Anomaly in the Quantum Spin Liquid Candidate κ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3
著者:Masato Matsuura1, Takahiko Sasaki2, Makoto Naka3, Jens Müller4, Oliver Stockert5, Andrea Piovano6, Naoki Yoneyama7, and Michael Lang4
掲載誌:Physical Review Research
著者所属:
1 Neutron Science and Technology Center, Comprehensive Research Organization for Science and Society (CROSS), Tokai, Ibaraki 319-1106, Japan
2 Institute for Materials Research, Tohoku University, Sendai 980-8577, Japan
3 School of Science and Engineering, Tokyo Denki University, Saitama 350-0394, Japan
4 Institute of Physics, Goethe-University Frankfurt, 60438 Frankfurt (M), Germany
5 Max-Planck-Institut für Chemische Physik fester Stoffe, D-01187 Dresden, Germany
6 Institut Laue-Langevin, 6 rue Jules Horowitz, 38042 Grenoble Cedex 9, France
7 Graduate Faculty of Interdisciplinary Research, University of Yamanashi, Kofu, 400-8511, Japan
DOI: 10.1103/PhysRevResearch.4.L042047

【本件問い合わせ先】
<研究内容に関すること>
総合科学研究機構 中性子科学センター
主任研究員 松浦 直人
E-mail:m_matsuura@cross.or.jp
TEL:029-219-5300

東北大学金属材料研究所
教授 佐々木 孝彦
E-mail:takahiko.sasaki.d3@tohoku.ac.jp
TEL:022-215-2025

東京電機大学理工学部理学系
准教授 中 惇
E-mail:m-naka@mail.dendai.ac.jp
TEL:070-7667-9257

山梨大学大学院総合研究部工学域
教授 米山 直樹
E-mail:nyoneyama@yamanashi.ac.jp
TEL:055-220-8568

<報道に関すること>
総合科学研究機構 中性子科学センター 利用推進部広報担当
E-mail:press@cross.or.jp
TEL:029-219-5300
FAX:029-219-5311

東北大学金属材料研究所 情報企画室広報班
E-mail:press.imr@grp.tohoku.ac.jp
TEL:022-215-2144
FAX:022-215-2482

東京電機大学 総務部企画広報担当
E-mail:keiei@jim.dendai.ac.jp
TEL:03-5284-5125
FAX:03-5284-5180

山梨大学 企画部広報企画課
E-mail:koho@yamanashi.ac.jp
TEL:055-220-8005, 8006
FAX:055-220-8799

【用語解説】
※1:量子スピン液体
電子スピンが規則的に極低温でも整列せず、量子的にもつれた多くの状態が重なりあった状態のことです。整列した状態を固体、バラバラの状態を気体とすれば、気体と固体の中間であることからスピン液体と呼ばれます。

※2:分子性有機物質
炭素、水素、窒素、硫黄などの軽元素からなる有機分子(図1)が集まってできた物質を分子性有機物質と呼びます。

※3:パイ電子
原子が2個ずつ電子を出し合って結びつく2重結合には、シグマ結合、パイ結合という2種類の結合があります。シグマ結合は結合力が強く、シグマ結合を担うシグマ電子は結合間に局在する一方、パイ結合の結合力は弱く、パイ結合をになうパイ電子は物質全体に広がっています。本研究に用いられた分子性有機物質κ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3ではパイ電子が二量体中に閉じ込められていますが、二量体中のどちらかの分子に偏る運動の自由度が残ります。

※4:分子格子振動
分子や原子はバネでつながって振動しています。このような振動は波として物質中に伝わり、波は固有のエネルギー値をもちます。このような物質を構成する分子や格子に起こる波を格子振動といいます。

※5:中性子非弾性散乱
中性子を試料に照射し、中性子と試料とのエネルギーのやり取りを精密に測定することにより、格子やスピンの振動、揺らぎを調べることができます。

※6:二量体、四量体
二量体(四量体)とは2つ(4つ)の分子が分子間に働く力や構造的な配置により1つのユニットとしてまとまったものです。(図1)