創立以来、研究開発、先端技術、企業経営等さまざまな角度から科学技術立国の日本を支えてきました。例えば、元本田技術研究所主任研究員の清水康夫氏(現在 工学部先端機械工学科 教授)は世界に先駆けて電動パワーステアリングの開発に成功しました。
また、樫尾俊雄氏は、カシオ計算機(株)創業の樫尾4兄弟のひとりで、世界初の小型純電気式計算機「14-A」、電卓、時計、電子楽器などを多数発明しました。
海外では、元 インドネシア国家イノベーション委員会会長のズハール氏は、本学卒業から帰国後インドネシア国内の大学で人材育成に尽力されるとともに、研究技術担当国務大臣の要職も歴任されました。
東京電機大学の卒業生は、日本だけでなく世界で、そして私たちが何気なく使っているものを実は開発している、そんなたくさんの業績を残しています。
仲間と切磋琢磨することで気づいた常にチャレンジすることの大切さ
積水ハウス株式会社 京葉支店設計課
A.I さん
未来科学部 建築学科 卒業
学部卒からの研究所採用という難関を突破「実学尊重」の学びが将来のキャリアを拓きました
三菱電機株式会社 情報技術総合研究所
C.S さん
工学部 電気電子工学科 卒業
機能高分子化学の探求で蓄えた知識を生かし「電気を通す機能性接着フィルム」の開発に従事
デクセリアルズ株式会社
コネクティングマテリアル事業部 商品開発部
H.S さん
大学院 工学研究科 物質工学専攻 修了
研究室で培った「コスト意識」と「スケジューリング能力」で次世代CVTの生産ライン立ち上げに挑んでいます
トヨタ自動車株式会社
駆動・H V 生技部 駆動計画室
S.H さん
工学部 機械工学科 卒業
研究に打ち込んだ姿勢が日々の業務を支えている
鹿島建設株式会社 九州支店 建築設計部
K.T さん
工学部 建築学科 卒業[ 現 未来科学部 建築学科]
工学研究科 建築学専攻 修了[ 現 未来科学研究科 建築学専攻]
最前線の現場で息づく電大で培った「自分で考え、自分で管理する力」
株式会社関電工 東京営業本部 東京支店南部支社
T.H さん
工学部第二部 電気電子工学科 卒業
東京電機大学の卒業生によるネットワークは「電機会」という形で、三菱電機会や民間放送校友会をはじめとした民間企業や、教育関係者で構成される教職校友会など、幅広い分野で組織されています。在学生は就職活動時に電機会に所属するOB・OGからアドバイスを受けることもできます。
1
教職校友会
1,208
2
東京電機大学技術士会
409
3
民間放送校友会
293
4
三菱電機会
281
5
錦央電機会
184
6
沖電気電機会
166
7
関電工電機会
165
8
東管支部
142
9
鹿島建設電機会
123
10
大成建設電機会
111
11
明電舎電機会
99
12
京三電機会
78
13
東光電気工事電機会
64
14
竹中電機会
57
14
長谷工電機会
57
16
商工懇話会
52
17
特許電機会
48
18
日本電波工業電機会
44
19
アズビル電機会
40
20
東管神奈川電機会
32
2021年5月現在 ※他にも多くの電機会があります。
株式会社コーエーテクモゲームス
代表取締役社長
K.H さん
1994年4月、株式会社コーエー(現:株式会社コーエーテクモゲームス)入社。プログラマー、ディレクター、プロデューサーとして数々のヒットゲーム開発に携わる。
2015年4月よりコーエーテクモゲームス代表取締役社長、2018年4月よりコーエーテクモホールディングス代表取締役副社長を務める。
経営に携わる傍ら、現在もプロデューサーとして制作の統括を行う。
第1作から国内ミリオンセラーを樹立。
1994年4月にコーエー(現:コーエーテクモゲームス)に入社して以来、ずっとゲーム開発に携わっています。プログラマーとしてキャリアをスタートして、8年ほど現場の最前線でゲームのプログラミングに没頭したのち、ディレクターに昇格。現場監督ともいえるポジションで、当社の基幹タイトルである『戦国無双』シリーズの1作目と2作目の制作に携わりました。
第1作目の『戦国無双』は国内でミリオンセラーになり、多くの人から愛されるゲームをつくる喜びを実感しました。その後は、制作統括であるプロデューサーとして世界中にゲームを供給していました。
特に印象に残っているのが、他の版権作品とコラボレーションを行う『無双シリーズ』を立ち上げたこと。『北斗無双』『ゼルダ無双』などを発売し、ゲーム業界に新しい商品のあり方を提示できました。この業界に新風を巻き起こしたことに大きな達成感を感じています。
現在は経営者ではありますが、プロデューサーとして変わらずゲーム開発に携わっています。ゲーム業界の“今”を肌で感じたいのはもちろん、やっぱり私はゲームが好きなんです。この気持ちは、ゲームに熱中していた子どもの頃から変わらないですね。
『決戦』の3Dプログラミングを担当。
騎馬隊シーンは迫力満点。
子どもの頃からのゲーム好きが高じて、中学・高校時代になるとプログラミングに興味が湧き、大学で深く学びたいと考えていました。
当時、情報工学を学べる大学が都内に少ない中、電大の理工学部情報科学科は、パソコンの授業が多く、施設が整っていることが魅力で志望しました。4年間の学びで身につけた数学の知識は、ゲーム開発の現場でも役立っています。
プログラマーとして入社した当時は、3Dプログラミングはまだ一般的ではなく、社内で3Dの知識を持つ先輩もほぼいない状況。3Dプラグラミングには数式を用いますが、それはすべて大学の授業で身につけた知識の応用だったので、当時の教科書を会社のデスクに常備して、ことあるごとにページをめくってプログラミングに生かしていました。
2000年3月にゲーム機のPlayStation2(以下PS2)が発売された際に、同時にリリースされた戦国時代のシミュレーションゲーム『決戦』ではリードプログラマーとして参画。CPUが飛躍的に進歩したPS2上で、3Dプログラミングによる騎馬隊50人をリアルタイムで走らせ、周囲を驚かせた感動は今でもよく覚えています。3Dプログラミングで使用するC言語も、電大で学んだPascalを応用できたので、とても役立ちました。
「ゲームが好き」。
変わらぬ想いで、今も開発に携わり続ける。
プロデューサーという仕事は、予算とスタッフを確保し、スケジュールを定め、品質を管理し、売上予測を立て、プロモーションを行う、小さな経営者と言えます。私自身、プロデューサーとしての多くの経験により、経営者としての素地を養えたと実感しています。当社が今後も継続的に発展するためには、永く愛されるゲームタイトルに慢心することなく、常に新しいものを創造していく必要があります。
ゲームづくりに長年携わっていると、どうしても“つくり手目線”に偏ってしまうことがあります。だからこそ、新入社員や若手社員が持っている“ユーザー目線”が重要だと思っています。新しいゲームをつくる際には、新しいメンバーのアイデアを積極的に取り入れながら、“新しい驚き”を見つけようと試みています。社会や時代が変化し、技術が進化を続けても、ゲームをつくるのは、あくまでも“人”。まさに、電大の教育・研究理念である「技術は人なり」という言葉を体現しています。
だからこそ、利益はしっかりと社員に還元していきます。さらに私たちは、電大の「実学尊重」という建学の精神にも通じる、「創造と貢献」という社是を掲げており、最高のゲームコンテンツを生み出すことで社会へ貢献し続けていくという信念をこれからも貫いていきます。
電大の研究室では、当時まだ一般的ではなかったインターネットについての研究を行っていました。インターネット黎明期に入社し、インターネット環境の進化とともに歩んできた中で、研究室で培った基礎知識は、通信を取り入れたプログラミング業務に非常に役立ちました。
昨今の通信技術の急速な普及を見ると、近い将来5Gが実用化されることで、高速通信インフラが前提となるシステムが新しく生まれてくると思います。たとえば、ゲームの世界では高度な端末がなくても、遠隔のサーバで演算処理をして、どこにいてもリモートで最新のゲームをプレイできるようになるかもしれません。
私たちの働き方も大きく変わってくると考えています。これからは、既存のインフラ上の技術ではなく、技術革新による新しい生活様式の中で必要なものを考え、対応できる力を持った技術者やイノベーターが求められるでしょう。技術の発展は、終わりなき旅です。ゴールが無いからこそ面白いとも言えます。その旅人になるのが、理工系の技術者です。未来が見えないからこそ面白いのであり、挑戦のしがいがあります。興味がある方は、ぜひゲーム開発にチャレンジしてみてください。
N T Tコミュニケーションズ株式会社
イノベーションセンター テクノロジー部門
N.T さん
2011年4月、NTT セキュアプラットフォーム研究所(旧:情報流通プラットフォーム研究所)入社。スマートフォンマルウェアの解析や対策の研究と同時に、日本スマートフォンセキュリティ協会(JSSEC)の「アプリ解析グループ」のリーダーを務める。2015年7月、NTTコミュニケーションズ株式会社 イノベーションセンター(旧:技術開発部)に転籍。以降現職。
アプリ自動解析技術の分析画面
電大では、学部・大学院を通して情報セキュリティの研究に打ち込んでいました。
そこで身につけた知識や技術を最先端の通信会社で磨いていくことで、日本の情報セキュリティ技術の向上に貢献したいと思い、NTTに入社しました。
当時は、スマートフォンの普及が進み、情報セキュリティへの意識も高まってきた時期。そこで入社後にまず携わったのが、スマートフォンマルウェアの解析や対策手法の研究です。
スマートフォン用アプリの安全性を解析診断するシステムを発案し、特許を申請しました。
さらに、スマートフォンの安全な利用促進を図るために、通信キャリア、機器メーカーなどが企業の枠を超えて発足させた「日本スマートフォンセキュリティ協会(JSSEC)」の活動にも参加。ソフトウェア技術とセキュリティ技術のスキルがベースとなっており、電大での学びが実践の場で生かされていることを実感しています。
近年、私が携わっているのが企業のセキュリティ管理体制の整備や運用に対してセキュリティプロフェッショナルの知見を提供する、「WideAngle」と呼ばれる総合リスクマネジメントサービスです。
このサービスにおいて、マルウェアを検知するために、お客様のネットワーク環境をもとに行うセキュリティ検証を担当しました。情報セキュリティ技術の活用においては、開発者がそれを実際に使う運用者のユーザビリティを意識することが重要です。
私は技術開発の部門に所属しているので、主に開発に携わっていますが、どんなに優れた技術もそれを使う企業のセキュリティ担当者が確実に運用できなければ意味がありません。
“ユーザー目線 ”を大切に、運用担当者と意見交換をしながら仕様変更を繰り返し、先進の機能をより使いやすくするように心がけています。
Red Teamの結果を分析
情報セキュリティの世界は日々劇的に変化を続けており、常に最新技術を用いる攻撃者の手法は巧妙になっています。
そのため、先進の防御策を講じるには、先進の攻撃手法を知ることが大前提になります。
そこで、特定の組織に“模擬攻撃 ”を仕掛け、セキュリティの脆弱性を発見する「Red Team」と呼ばれるセキュリティ対策が徐々に普及しています。
私が現在手掛けているのも、社内外向けRed Teamプロジェクトにおける技術・運用支援です。
依頼を受けた企業のシステムに対し、実際の攻撃者が使用するマルウェアやツール、手段などをそのまま踏襲した模擬攻撃を仕掛け、防御策をアドバイスします。
AIが導入されるなど、進化し続ける攻撃手法を研究し防御策を考えるのはゴールのない世界のように思えます。
しかし、防御側も日々進化しており、Red Teamのように想定される攻撃を事前にシミュレートする手法は組織のセキュリティ向上に大きく貢献しています。
情報セキュリティに携わるのは、絶えず最新の知識と技術の追究が求められますが、その分とてもやりがいがあります。その礎と なっているのは、間違いなく電大での専門分野の学びです。
プログラミング、データベース、サーバやネットワークの構築、OSの仕組みなど、実務で必要となる知識や技術は大学の学びを通して広く深く身につけることができました。
そして、研究室で養ったのは“手を動かすこと ”の大切さです。
受け身ではなく、自ら課題を考え、原因を調査し、解決策を実行する。これは、情報セキュリティに限らず、あらゆる分野の技術者にこれからも求められるスキルです。
電大には、手を動かし、自ら考える環境が整っています。この土壌で専門性を磨けば、あなたのアイデアが世界を変えるきっかけになるかもしれません。そんな将来の可能性を秘めた技術者とともに未来に歩むことを私も楽しみにしています。
株式会社SUBARU
第一技術本部先進安全設計部
T.K さん
2008年3月、東京電機大学工学研究科電子工学専攻修了。同年4月、富士重工業株式会社(現・株式会社SUBARU)に入社し、スバル技術研究所に配属。同年10月よりステレオカメラの研究に携わる。
2012年9月にスバル技術本部へ異動し、製品化に関する業務に参画。2017年5月より現部署でステレオカメラの未来を見据えた開発を推進中。
入社以来、ずっとアイサイトに携わっています。アイサイトの特長は、リアルな世界で起こる事象を徹底的に追究して機能を開発し、衝突回避や長距離運転の快適さを、日常の運転で実感できること。この製品化にあたって私は、人間と同じようにクルマの前方を捉える、アイサイトの『眼』となるステレオカメラの開発に取り組んでいます。
左右2つのカメラで前方を立体的に捉え、クルマや歩行者などを識別して、距離、形状、移動速度を正確に認識します。
この仕事で大きな達成感を得たのは2014年、入社から手掛けてきたアイサイトVer.3が、レヴォーグとレガシィに搭載されたときです。会議室のホワイトボードを使って、ゼロから議論を始めたものが実車に搭載され、マスコミで話題になったり街中で実際に見たときは、素直に嬉しかったですね。
印象に残っているのは、アイサイトの研究チームに配属されたとき。最初に「現行アイサイトの不満点は?」と聞かれて「一般道では赤信号で止まってほしい」と答えたら、「そこを頼む」と言われ、結果として機能は違う形となったのですが信号認識の機能開発を任されたのです。
大学時代、信号認識を学んだことはありません。そこで役立ったのが、「実験を通して道を開く」という姿勢を、授業や研究室で徹底的に鍛えられたことです。おかげで、研究チームの先輩に「まずは実験してみたら?」と言われたときも、すぐに手を動かすことができました。研究開発職にとって、理論をただ学ぶだけでなく、実験や実習を通じた体感によって理解を深める電大の学びは、大きな力になっていると感じています。
ステレオカメラの開発で画像認識やレンズ設計といった新たな技術に触れたとき、その概要をすぐイメージできたのは、所属していたモダンジャズ研究会での会話を通じて、幅広く技術を理解する下地が自然に出来上がっていたからだと思います。
モダンジャズ研究会には、ほとんどの学科の人たちが在籍し、部室では世間話や音楽談義と同じレベルで、それぞれが取り組む技術の情報交換もしていました。こうした何気ない日常も、新たな技術に取り組む役に立っていると思います。
また、SUBARUのマーケットは現在、北米が中心。そのため、海外の開発エンジニアや販売拠点のスタッフと、英語でメールしたり実際に会って話す機会も少なくありません。
いまでも苦労はしていますが、研究室で英文の専門書や論文を読んでいたことから、それほど壁を感じることなく、コミュニケーションできるようになりました。
SUBARUが起こした『衝突回避』というムーブメントは、業界の一部で『アイサイトショック』と呼ばれる新たな価値を生み出しました。そしていま、アイサイト開発チームは、これに続く価値を生み出すため、未来を見据えて、運転支援機能のさらなるレベルアップに取り組んでいます。
その中で私は、ステレオカメラ開発チームのマネージャーとして、画像認識を始めとするソフトウェアと、カメラのレンズ設計などを含む幅広い領域を管理し、ステレオカメラの性能向上に取り組んでいます。「アイサイトを、より多くの人たちが手放せなくなるアイテムにすること」。これがいま、私が見据えている次の目標です。
株式会社本田技術研究所
執行役員 基礎技術研究センター担当
S.S さん
1987年3月、東京電機大学電子工学科卒。同年4月、本田技研工業株式会社に入社し、株式会社本田技術研究所に配属となる。自動車のエンジンコントロールユニット(ECU)の開発を手がけ、1996年9月からはロボットの研究に従事しHondaロボティクス技術進化に貢献した。ASIMO開発は当初から携わり、2002年より開発責任者、2004年12月発表の「次世代ASIMO」以降は、開発リーダーを務める。2015年4月より現職。
先日、東京電機大学で講演させていただいたんですよ。学生さんたち皆、真剣な面持ちで耳を傾けてくれ、ものづくりへの興味が手に取るように伝わってきました。特にロボット技術の話には深く頷くなど反応がよい印象を受け、私も学生であった当時を懐かしみました。
小さい頃から電気工作が好きで、中学はアマチュア無線部での活動や自作ラジオの製作に熱中していました。私が高校生の頃は、ちょうど自動車のエンジンのキャブレターが電子制御に移行する時代で、あたらしい技術が生まれようとする転換期でした。電大に進んだのは、もともと興味のあった自動車の技術進化がきっかけです。将来は、第一線で活躍できるエンジニアになりたいと考え、実学を重んじる電大に魅力を感じました。
学生時代の思い出というと、レポートでの苦労ですね(笑)。しかし、一つのものごとを多方面から見ていく検証の重要さをしっかり学べたことは、大きく役立っています。振り返れば、科学技術の基礎的な知識や電気工学の講義、専門的かつ多分野の学問に触れられる環境で得たことなど電大での学びは、今日のASIMO開発にも息づいていると感じます。
大学卒業後は、株式会社本田技術研究所でECUという自動車のエンジン部などをコントロールするコンピューターの開発に携わりました。その商品化を経て、社内で1986年から発足していたロボット研究に参画しました。
ASIMOプロジェクトには初期から携わり、2002年に開発責任者となって現在に至ります。私がロボット分野へと進んだのは、ロボット技術は機械だけでなく制御や情報処理など多様な技術の集合体であり、多面的なチャレンジができると感じたためです。また、ありたいロボットを実現することで、人の生活スタイルが変わるような、これまでにない新しい価値を社会に提供できると考えました。
ASIMOの二足歩行や指先や関節の詳細な動き、その他の機能やデザインは、数々の研究開発を経た成果です。
例えば前身であるP3は工場で働くロボットを想定していて、もっと大きな大人サイズの160㎝、130㎏でした。そこからより生活に寄り添えるロボットに方向性を定めた結果、小型軽量化した初代ASIMOが誕生した背景があります。
現在のASIMOの身長は130㎝、50㎏。照明スイッチのオンオフやドアノブの開閉など、家の中で手が届き作業ができるサイズを検討し、児童の身長にしています。この点も重要で、私たちが常に目指してきたのは人間社会に溶け込めるロボット。
「人の役に立ち、生活を豊かにする」という弊社のロボット研究の理念が、研究開発の根底を支えています。考えれば、「技術は人なり」という、電大の教育・研究理念とも近しいことかもしれないですね。
私が尊敬する技術者の方々には、ある共通点があります。それは、「高い専門性を持ちながらも、他の技術・学問分野でも議論を行える」こと。原理原則を身につけ技術を追求するプロフェッショナルでありながら、あらゆる自然法則に目を向けるジェネラリストでもあります。一見、相反することかもしれませんが、その両立を目指す技術者の姿勢が、世の中にあたらしい製品や技術を生み出し、これからの社会・研究を担っていくのだと私は思います。
積水ハウス株式会社
京葉支店設計課
A.I さん
2012年3月 未来科学部 建築学科 卒業
千葉県 / 県立船橋西高校 出身
(現:県立船橋啓明高校)
設計士という夢を叶えるために進学した建築学科では、建築の各分野で活躍されている先生方の指導で、高い専門知識が身につきました。
さらに、仲間と常に切磋琢磨しながら、夜遅くまで課題に取り組み、発表・評価に刺激を受け合いました。そこで学んだのは、常に新しいことにチャレンジすることの大切さ。
殻を破ることで設計のスキルは磨かれます。それが就職活動にも大きなプラスになりました。入社以来、戸建の注文住宅を専門に設計をしています。早い時期に一級建築士の資格を取得できたのは、電大で身につけた専門知識が基盤にあったためだと実感しています。
さらにデザイン力を磨き、お客様の信頼に応えられるよう、現在はチーフアーキテクトと呼ばれる社内認定制度の取得を目指して、新しいチャレンジを始めています。
三菱電機株式会社
情報技術総合研究所
C.S さん
2014年3月 工学部 電気電子工学科 卒業
神奈川県 / 湘南白百合学園高校 出身
電大には「ものに触れて学ぶ環境」と「なぜこの答えが出るのかを突き詰める先生方の熱心な指導」があります。
在学中に制御工学を学び、実機を動かし、ものをゼロからつくった経験は、学部卒での研究所採用という難関を突破するにあたって、とても大きな力になったと思っています。
机上で理論を詰めることも大切ですが、実機でのトライアルアンドエラーから得るノウハウの大切さを、研究所でものづくりに携わる中で、日々痛感しています。
現在は、組込みソフトウェアのアーキテクチャ提案や開発効率化技術の研究を行っています。また、世界で注目されている自動運転技術の開発にも携わっています。
機能の新規性に加え、今まで以上に安全性への要求が高まる研究開発を担っている責任は、私にとって大きなやりがいになっています。
デクセリアルズ株式会社
コネクティングマテリアル事業部 商品開発部
H.S さん
2016年3月 大学院 工学研究科
物質工学専攻 修了
長野県 / 県立小海高校 出身
化学系企業の開発職を希望していた私は、高分子化学をより深く研究すべく大学院に進学。インターンシップ時に、充実した研究開発環境と常に前向きなスタッフに感銘を受け、電子機器の接合材料や光学材料などを世界規模で展開するデクセリアルズに入社しました。
入社以来、異方性導電膜(ACF)と呼ばれる、スマートフォンやタブレットP C 、テレビなどのディスプレイに部品を接合する「電気を通す機能性接着フィルム」の開発を行っています。
大学院で積み重ねた高分子化学の知識は、開発の現場での基盤として役立っています。
ディスプレイは日進月歩で高精細化し、ACFにもより高機能が求められます。電大で培った、仮説を立て、実験を繰り返し、自分で答えを導き出す大切さを実感しながら、他に類を見ない製品の開発に取り組んでいます。
トヨタ自動車株式会社
駆動・HV生技部駆動計画室
S.H さん
2011年3月工学部
機械工学科 卒業
千葉県/八千代松陰高校 出身
幼い頃から機械いじりと車が好きなことから工学部に入学。
在学中は自動車部に所属し、車の構造への理解を深めながら、主将としてチーム力の向上に尽力しました。
トヨタ自動車を志望したのは、世界を舞台に若手にもチャレンジする機会が与えられる社風に魅力を感じたから。所属する駆動系の生産技術部では、北米向け8速ATの生産ライン構築に携わり、現在は次世代CVT(無段変速機)の生産ライン立ち上げに従事しています。
生産技術は、設計と工場の橋渡しともいえる領域。高品質な製品を大量生産するための「コスト意識」と「スケジューリング能力」は、電大の研究室で、実験機器を予算内で発注し、自らスケジュールを管理しながら研究に打ち込んだ中で培われたことを改めて実感しています。
車の需要が多様化する中で、今世界で何が求められるかを考えながら仕事をする喜びを感じる毎日です。
鹿島建設株式会社
九州支店 建築設計部
K.T さん
2007年3月 工学部 建築学科 卒業[ 現 未来科学部 建築学科]
2009年3月 工学研究科 建築学専攻 修了[ 現 未来科学研究科 建築学専攻]
東京都/獨協高校 出身
高校の頃、大学では好きな建築分野を学びたいと考えていました。電大に進学したのは、より深く専門性を学べると感じたからです。教授陣が多彩で魅力を感じました。
思い出深いのは研究室時代。砂だけで構造体をつくるという誰も取り組んだことのないテーマで研究にあたり、一つの現象を証明するにも根気を要するなど、得るものが多い日々でした。
現在、ウォーターフロントに建つ湾の波紋をデザインモチーフにしたオフィスビル計画を担当しています。建築設計の業務は、設計だけでなく、「事業主の要望を聞く」ことが非常に重要です。ヒアリングを重ね、要望を最大限に具現化する作業は、半年にわたることも。ベストを尽くすために、根気強く行動と検証を行い「判断を繰り返す」という、研究室で得た姿勢が、現在でも基本となっています。
いつの時代においても「求められる技術者」でありたいと考えています。そのために日々、他分野にも目を向けつつ、自分の専門性を磨いています。振り返れば、電大は、原理原則を学びながら、多分野にも触れられ学問を探求できる環境があったと感じます。
株式会社関電工
東京営業本部 東京支店 南部支社 勤務
K.T さん
2014年3月 工学部第二部
電気電子工学科 卒業
東京都 / 都立六郷工科高校 出身
働きながら電気を深く学びたいという想いから電大の工学部第二部に入学しました。
在学中に東日本大震災を経験し、インフラとしての電気の重要性を実感。この経験が、電気をはじめとする総合設備企業である関電工への就職の大きな決め手となりました。現在の仕事は、主に改修工事現場での品質管理や工程管理などの施工管理全般です。
在学中に実験、実習などで培った知識が、最前線の現場での判断やお客様との対話に生かされています。
さらに、大学生活で養われたのが「自分で考え、自分で管理する力」。仕事と講義、レポートの作成など時間を管理する力が自然と身につき、施工管理という現在の自分の仕事にしっかりとつながっています。夜間部の環境だからこそ培われた能力も多く、自分自身の大きな財産となっています。